明治45年 土地台帳
明治45年の土地台帳から、我が家の権利地を調べてみました。自慢話となりますが、凄いです!今現在の価格であれば、数百億円は下りますまい!こんなに広かったんだと驚きの一言です。台帳の全てをザットですが、計算しますと合計1,536坪です。七つの蔵・味噌工場・本宅、そして、職人さん達の住まうところ。戸田侯から、1,000坪を与えられ伊勢より、移り住んだとありますが、それから更に五百数十坪増えているのです。先祖は、商いをどの様にして、発展させ構築して行ったのか調べる事に興味が沸くと同時に、調べなくてはいけないと言う義務感さえ覚えます。口伝も既に途絶えた今日、書物の中には「私が、知りえない事実が、どっこい!生きている!」のですから!
この記事へのコメント
そうですよね!いくら「本郷区史」に書いて有ったとはいえ確証はありません。「明暦の大火」以前の大名家菩提寺所在地リストなる物が出てくると良いのですが!
それと、確かな「古文書」「古地図」ですよね!
探してください!菊坂の与太郎さん!
勿論、肴町に移動する前の位置のようですが。
えっ!崖下にあったんでしょうかね。これって。アレー
っという感じです。 驚いた与 梨木紫雲
http://www.geocities.jp/jf1zhe/Yushima1643-YOTARO.JPG
地図で拝見すると、崖下が、蓮光寺ですので、恐らくこの地で創業をし、寺内(お墓の跡地)を買い求めて大きくしていったのだと考えるのが妥当かも知れませんね。
丁度、芥坂の辺りは、寺地となっています。その寺地も焼け野原であったので、買い求めるのは容易であったのかも知れません。
梨木紫雲さんのお蔭で、また一つ、史実が事実になりました。ありがとうございます。
探してください」に触発されたら、当方も驚いたと言うわけでした。それに「霊山寺」ではなく「霊仙寺」だったんですね。新たな発見でした。どうも、どうも 梨木紫雲